そこら辺にいるジャニヲタです

闇を突きぬけて

劇場のスケジュールを見る度に、「今年は無いのでは、、、?」と不安になってた世界一好きな舞台
“少年たち”

今年は美少年だけでしたが幕を開けてくれ、そして先日、その世界一好きな舞台が幕を閉じました。




率直な感想言うと、
まじで寂しい‼️
もう通年でやろ。少年たちに関してはオフシなしでいいよ(地獄?)




そんな、最高な舞台。
美少年は今年3年目。
去年までは、HiHi Jetsと共に駆け抜けてましたが、今年は美少年のみ。
この舞台のデフォは、グループ vs グループ、
美少年しかいない今回はその構成が取れない上に、今回は演出家が変わった、
という状況だったため、ストーリーが過去2年と比べガラッと変わりました。



これが、本当に良すぎる。
過去2年は、所謂“The トンチキ”で、正直そのシーンの状況は理解できるけど、果たしてそれが今後の伏線になるのか言われたらまじでない。なんの伏線も持たないから、そのシーンがある意図が理解しきれない。だから、トンチキって呼ばれてたんだと思うんだけど、そういうのが今年は一切ない。ちゃんと全部が、伏線やら含みを持たせたシーンになってるから無駄がないんだよね。あまりにも素晴らしすぎる。
本当に“少年たち”を理解してる人間が手掛けたんだなってのが1発で分かります。
しかも、今年のなにがいいって、終わり方が人それぞれの解釈ができる終わり方なんですよね。
なので、今回のブログは私の解釈ブログとして書き上げようと思います。




ということで、本題に入る前に、まずは今年の少年たちのストーリーを下に書き記して行こうと思います。


幕が上がると、都内の公園に高校生?大学生?ぐらいの男の子たちが遊んでいて、そこに、電話で日常会話を母親とする大昇が現れたり、奥さんと嬉しそうに会話をする内くんが現れるところからスタートします。それは、現代を生きる私たちが普段目にする“当たり前”の光景です。
そんな当たり前のところに、「日本が戦争状態に入りました」というアナウンスと共にサイレン音が鳴り響き、そのまま焼夷弾が落とされ街は壊滅。
この戦争は2年続きました。

戦争のせいで街はノースとサウスに分断され、食糧難に陥ります。
人々は食料を手に入れるために、配給制度を利用します。しかし、この配給はおそらく富裕層から順に配られるようで、そうではない人々は満足できる量の食料を手に入れることができません。
そこで、“少年たち”は配給車を襲い先に食料を手に入れようと目論みます(もしかしたら普段からやってて、今回が初犯では無かったのかも)。もちろん、その様子は警察にバレてしまい、少年たちは捕まり投獄。少年院としての生活が始まります。

ちなみに、配給車を襲って捕まったのは大昇以外の5人。大昇は5人が来る前から既に投獄されていました。
ここから少年院の中の生活を細かく書くと果てしない量になるので、簡潔に6人の背景を書きます。

赤チーム(サウス)
大昇→捕まった理由はあの空が青いから。戦争のトラウマで刑務所に入る前の記憶が一切無くなった上に、子供返りをしてしまう。争いや大きい音が苦手。
浮所→戦前は那須ストリートギャングとしてつるんでいた。昔は2人でダンスをやることも。ノースとサウスに分かれてから仲違い。刑務所を出たらまた那須とダンスをやりたいと思ってる
龍我→パンが好きでここを出たらパン屋になることが夢。

青チーム(ノース)
那須→浮所と同じ。戦争のせいで自分の夢を壊されたのが原因で、浮所にここを出たらダンスをやろうと誘われても夢を追うのが怖くて拒絶をする。
金指→元少年兵。罪のない人の命を奪ってしまったことに苦しめられてる。
藤井→戦前は考古学の勉強をしていた。体の弱い弟がいる。


大昇を通してそれぞれが抱えている悩みを解決し、赤と青の対立が無くなっていきます。
そんな中で大昇は5人とは裏腹に、ある悩みを抱えるようになります。それは、
「みんなは早くここを出たいというけど、自分は記憶がある中で初めて仲間ができたこの場所にずっといたい」
というもの。
そんな悩みを抱えてるある日、藤井に一通の手紙が来ます。それは「弟が手術をするが血液が足りない」というもの。弟の血液はRh(-)で藤井も同じものでした。
そこで、藤井は看守長に自分達はいつ出所出来るか尋ねます。しかし、その答えは、
「刑期なんていくらでも伸ばせるのでここを出さない」
というものでした。
看守長は戦争中、自分の妻子を少年兵に殺されています。その経緯があって、それぐらいの年齢でここにいる人たちのことをクズだと思い、社会復帰させるよりここで朽ち果てた方が世のためだと思っています。
そんな看守長の思いを聞いた少年たちは、ここで死ぬなら一か八かで脱獄をしようと決意をします。

そして脱獄当日。
イレギュラーなことはあるものの、なんとか脱獄成功目前の所に来たところで、大昇が塀の上で1人看守長を引きつけようとします。
もちろん、みんなはそんな大昇のことを止めようとしますが、大昇は
「家族と同じぐらい大事な仲間の夢を応援することが自分の夢。みんなにはここを出て欲しいから、1人で看守長を引きつけてる間にみんなはそのまま走ってほしい」
と言うことを聞きません。
そんな大昇のことを見つけた看守長は、そのまま大昇を撃ち、大昇は塀の上から落ちてしまいます。
落ちた大昇のところにみんなが駆け寄ったせいで、脱獄は失敗。その後大昇は亡くなってしまいます。
また、看守長もこの悪事が上にバレ警察に送検。
刑期が大幅に短くなった少年たちはその後出所。

そして、場面は数年後に転換します。
数年後、刑務所はすっかり更地となり、残ったのはブランコだけ。そしてそこに集まる6人(この時、大昇はブランコの付近でみんなの会話を優しい笑顔で聞いています)。
久しぶりに顔を合わせて懐かしんだと思ったら、突如鳴るピアノの音。
その音を合図に、5人が各々うちに抱えている怒りを一斉に叫び始めます。
叫び終わった後、あの有名な「いつの時代も人は戦いにあけくれる〜」のセリフを龍我が言った後、大昇が舞台上に咲いているヒマワリを警棒で殴ると同時に、スクリーンにポスターと同様に少年たちの「少」の字の一部が赤く染まり終わります。



めっちゃ長くなったけど、これでも結構割愛してるんだよな。
ま、おそらくこのブログを読んでる人は見に行った人だと思うので、流れはわかるからいいか。見たことない人は、沢山レポ読んでください。






じゃあ、本題入りましょう。
今回、どういうブログを書くのかってところなんですけど、
今回のテーマは

6人は闇を突き抜けられたのか

にしたいと思います。
曖昧だね〜。もう少し噛み砕くと、
6人は夢を叶えられたのか
かな。

刑務所の中で下手したら死んでしまうかもしれないぐらいの暴力を受けた少年たちは、次第に「自分の夢」を見つけ、その夢を生きる活力にしていきます。
じゃあ果たして、その夢は叶ったのか。
多分これが1つ、この舞台を解釈する上で必要なキーワードになると思うんですよね。
だから、ここを中心に解釈を広げて行こうと思います。


まず、最初に結論付けると、私は

6人全員闇を突き抜けられた

と思っています。
誰も、闇の中で彷徨ったりせずにこの物語を終えられたんじゃないかなって。

まず、大昇以外の5人は分かりやすいと思うのよ。
だって生きてるし。
藤井は弟の命を救えた上に考古学の勉強も出来てるし、浮所と那須はダンスに夢中になれてる。龍我はパン屋を経営できてるし、金指も中にいる時は出所したらやりたいことは特に見つかってなさそうだったけど、自分の特技を活かして裕福な生活が出来てるわけで。

だからここで議論になるのは大昇なんだよね。
大昇の夢は「仲間を守ること」って最後の最後に言ってるけど、これって死ぬことが分かってる土壇場で出した答えになるんだよね。私的には、自分を犠牲にしない夢も何かあったのでは無いのかな?って。金指みたいに出てから夢を探してもいいのでは?ずっと引っかかってたんです。
ただ、いつからか(中日過ぎたあたりでのセリフ変更)大昇が塀の上で

「みんなは僕の家族だから、俺の夢は家族を守ることだから」

って言ってるのを見て、本当に「仲間を守ること」が夢なんだなって確信できるようになりました。
って言うのも、記憶が無くなる前の大昇は自分のことを「俺」、記憶がなくなってからは「僕」っていうように一人称を変えてるんですよね。これって結構大事なヒントになってて。
確かに「僕」的には土壇場で出した夢だったのかもしれないけど、「俺の夢は家族を守ること」“本当の”大昇がそれを言ったということは、“本当”の大昇の“本当”の夢なんだなって。

戦争で大事な人を失ってしまった悲しみで壊れてしまった大昇。
これから先もうこれ以上大事な人を失いたくない。
これが大昇の中心にある夢なんだと思いますし、もしかしたらこの夢は子供返りする前からある夢だったのかなって思います。
だとすると、子供返りする前の夢と、子供返りしてからの夢が一致したことによって、死ぬ最後の最後で“本当の大昇”を取り戻すことが出来たのではないかなって考えます。

ってことは、大昇の本当の夢もここで叶ったことになるんですよね。








じゃあ、全員が闇を突き抜けられたとして。
まだ疑問に残ることがありますよね。
それは

最後、大昇がひまわりを切り“少”が赤く染るのはなぜか

ということ。



ここに関しては、出所後にまた集まったシーンから順に追った解釈をしていこうと思います。

まず、更地になった少年院の跡地には大昇が好きだったブランコしか残っておらず、その後ろには数十本の向日葵が咲いています。その向日葵に水やりをしてる大昇からスタートします。その後、ブランコを見つけた大昇がブランコを揺らし始めたのを合図に藤井、浮所那須、金指、龍我の順番でブランコを中心に集まってきます。

ここあんまり話題になってないんですけど、ちょっと不思議じゃないです?
出所後、藤井と浮所那須は風の噂でお互いが何をしてるかは分かってるみたいだけど、金指と龍我に関しては誰も何をしてるかが分からなくて。
本当に久しぶりに会ったみたいなんですよね。
なんだろ、中学を卒業してから会ってないけど同窓会っていう機会があったから久しぶりに会えたみたいな感じしません?
わざわざ会う5人ではなさそうな。

だとしたら、じゃあこの5人にとっての会えた機会はなんなのかって話なんですよ。
パッと考えられるのは2つ。
1つ目は、少年院が壊されたからそれを見るために集まった説。
でもこれってあまりにも理由が弱いんですよね。壊されたのを見に来たかったのなら、各々来いよって話しじゃありません?
なので、私は2つ目の考えられる理由を提唱したいと思います。それは、

大昇の命日orお盆中に集まる6人

です。
私は、大昇は無事に成仏できたと思ってます。
大昇が撃たれたことによって脱獄は失敗したけど、皆の刑期は短くなって夢を叶えられてる。大昇の死は無駄死にじゃなかったから。
じゃあ、なぜ成仏した大昇がいるのか。それは、集まった日が命日orお盆の期間で、大昇は戻ってきたのかなと。しかも大昇が戻る場所は大事な仲間がいるここだけなので。
そんでもって5人もここに集まったってことは、やはり命日なのかお盆なのかのどっちなのかなって。
そしたら、5人が集まる理由が出来るわけじゃないですか?
脱獄した日にちは残念なことにわからないんですけど、脱獄失敗後のあいつの分も生きるで背景に申し訳なさそうに向日葵が映ってるので、おそらく夏だとは思ってるんで、とりあえずここから先は、「命日」ってことにしておきます。



次に、命日に久しぶりに6人集まって、大昇のことを想って懐かしみながら楽しそうに話してるところで、唐突になるピアノの音。音が鳴りそれまで動いてた5人が止まり、各々の内に抱える怒りを一斉に叫び始めます。

この聖徳太子コーナー。
オタク達は読唇術と聞こえる声で解読しようとしてたんですけど、
途中から私は、果たして中身って大事なのか?ってなりました。
もちろん、大事なことを言ってるのかもしれないです。私は完璧に読み解けたわけじゃないので確信的なことは言えないんですけど。
ただ、本当に大事なことを言ってるのであれば、1人ずつ言って観客側に問いかけて考えさせればいいじゃないですか?
それをしないってことは、おそらく中身ではなく、シーンに意味があるのかと考えます。

じゃあ、このシーンの意図とはなんなのか。
それは、

大昇のみ聞こえる5人の内の声

な気がします。
ピアノの音が鳴って時間が止まるじゃないですか?普通に考えて現実世界では有り得ないですよね。
でも、その有り得ることが目の前で起きててそれを私たちも見えてるんですよ。
じゃあ、誰がこの光景を見ててそれを私たちにも共有してるのかっていう疑問が出てきます。
その答えが「大昇」なんです。
大昇は亡くなってるから、不可能なことが可能になるんですよね。

おそらくここは、
こうやって平凡で平和な世界に生きている人も、何かしらの怒りを抱えながら生きていて、その怒りが集まり大きくなることで平和な世界を壊してしまう可能性がある
っていうことを示唆してるのでは?と考えます。

しかもここ、大昇の表情って真顔なんですよね。さっきまであんなにニコニコしながら皆の会話聞いてたのに。
もっと大昇寄りの考えを書くと、
せっかく大事な仲間の平和を取り戻したのに、その平和を壊す可能性がまだ残ってるのかよ
って感じだと思います。





最後に龍我が「いつの時代も〜」というお決まりのセリフを言った後、大昇が向日葵を警棒で切り“少”の字が赤く染まるシーンです。

まず、龍我が「いつの時代も〜」って言った最後に「なぁ、そうだろ?大昇」って大昇に問いかけて、大昇は優しい笑顔を龍我に向けながら「あぁ」って言います。
上で、大昇が5人の声を聞いている時は「平和が壊される可能性があるって考えてるかも」って書いたんですけど、
ここで龍我が「戦争はダメだ」ということを力強く言ったおかげで、大昇の中で
その可能性は無くなったんだ
って安堵したのでは?と思います。
だから、優しい笑顔をもう一度取り戻してくれたのかなと。


なら、最後の向日葵を切るところはどんな意味が込められてるのか?
ここは、

現実世界は平和じゃない

という意味が込められてるのではないのかな?って思います。


はい?ってなりますよね。噛み砕いて説明しますね。
まず、「現実世界」っていうのは私たちが今いる世界です。
龍我が「なぁ、そうだろ?大昇」って言って捌けた段階で、「少年たち」っていう空想の物語はそこで幕を閉じてると考えます。
そこから先は、現実世界に大昇が降りたって、私たちと同じ目線になります。
大昇が向日葵を切ることで、
この物語は戦争のない平和な世界を手に入れたけど、君たちがいる世界は、戦争が絶え間なく続いてる平和な世界では無いんだ
ってことを意図してるのでは思ってます。
“少”の一画が赤く染まるのも、血をイメージしてると思ってて、そこから戦争に連想させるのかなと。

ちなみに、大昇が教えてくれるのはここまで。

つまり、この舞台を通して平和を手に入れるために何をするべきなのか、ここにいた少年たちのように考えながら生きていきなさい、ということを最後の最後で演出家が伝えようとしているんだと思います。
この舞台はハピエンで終わってるけど、今いる世界をハピエンにすることが出来るのかそれともバドエンにすることが出来るのは、君たち一人一人次第なんだよみたいな感じですかね。
だから何もかもが良い意味で曖昧で、その曖昧さが人それぞれの解釈を生み出していくのではと。
平和に対する様々解釈があることで、より平和になると思うので。










んーー!!
ごちゃごちゃ書きすぎたので、まとめます!!!!!


①6人は夢を叶えられた。
②どんな人にも内には怒りを抱えていてそれが平和の決壊に繋がるが、「戦争はダメ」という絶対的なものがあれば平和の決壊にはならない。
③今の世界は平和ではないからこそ、今必要なことを考えて自ら行動をするべき。



これが、今回の少年たちの私の解釈になります。

難しい!めっちゃ難しかったな!!!!
1ヶ月見て、やっとこの結論にたどり着いたもんな。こういうのって1回見て結論にたどり着いて2回目以降で答え合わせするのがデフォだと思うけど、ガチで何回も見ないと分からないあたり、トンチキ舞台だったんじゃなかったの〜!なんで〜!凄いよ〜!になっちゃうんだよね。


もちろん、この解釈は私なりの解釈なので、もっと他にも沢山あると思うし、当たり前にこれが正解では無いのでね。
ふーん、程度で目を通してもらえれば。
あと、みんなの解釈も聞かせてね🎶
私は他の人の解釈聞いてから、こういうの書いたら、訳わかんなくなるから先に書いちゃったけど、普通に他の人がどう考えてるのかも知りたいし。






あーーーー!!楽しかった!!!
こうやって考えるのも、普通に観るのも!!
闇を突き抜けて、というサブタイトルの通り、内容的にも体力的にも無事に闇を突きつけられて良かった!!!!!
多分もう、美が少年たちをやることは無いんだろうけど、この脚本が受け継がれていって欲しいなとは思うよ。
もちろん、欲を言えばまだまだ、美の少年たち見たかったけどね!!!!

那須電気椅子も、ナイフで刺されるところも、ブラシを有り得ん勢いで投げ飛ばすところも、常にガン飛ばしてるところも、看守長に唾吐くところも、うきなすのrivalも取っ組み合いも、全部全部なんぼ見ても飽きん‼️になるからね。

冒頭にも書いたけど、本当に好きな舞台で。

こうやって舞台が終わって、私がブログを書きあげたらそれで全てが終わりになってしまう気がして、本当に今寂しくて泣きそうなんだけど、
今年の、そしてこの3年間を大事な大事な思い出として取っておきたいと思います。




やばい!めっちゃクソ重人間になってしまった!
終わろう!よし!締めよう!!!!!







美少年、内くん、無所のみんな、35公演お疲れ様でした!そして、岩本さんも演出してくれてありがとうございました!!!
生きてきた中で一番最高な秋を過ごせました!!!!!










じゃ、円盤待ってるからねー☺︎